アロージャズオーケストラの記念誌にはこんな記述があります。
「昭和33年(1958)6月15日午後7時。国鉄大阪駅から東へ約10分の堂山町にできた新しいビルの中は、興奮に包まれていた。クラブに専属するタキシード姿のバンドマンたちが高らかにファンファーレを演奏した。ナイトクラブ「クラブアロー」の開業である。バンド名は「北野タダオとアロージャズオーケストラ」。
クラブアローにとってAJO(アロージャズオーケストラ)は必須ツールでした。「ナイトクラブ」は音楽やダンスなどのショーを主体とする紳士淑女の社交場だからです。男の遊び場「キャバレー」とは趣を異にします。
アローは3階建て延べ730坪。巨大なフロアには100人以上入るボックス席が並び、石灯籠と滝を備えた300坪の日本庭園がトレードマーク。料金もけた外れです。チャージ料が7千円。飲食代を加えると一人1万円は超します。大卒サラリーマンの初任給が約1万3千円の時代です。何もかもが一流であることがアローのコンセプトでした。
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